火龍の花嫁
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幼い頃に炎の龍王から花嫁と定められし三娘(さんじょう)。
彼女は可憐な娘に成長したが、待てど暮らせど約束した相手は迎えに来ない。
そうしている間に国王から側室にと望まれてしまう。
それを拒めば一族は反逆罪にとわれてしまうことになる。
泣く泣く王命を受け入れ婚礼用の輿に乗ろうとしたけれど、彼女はその場から逃げ出した。
そして火龍から渡された品をほうり投げたとき、彼女は炎に包まれて……。

・番(つがい)ものですが、一般的な認識ではありません。
・中国神話や言い伝えをベースにしております。

【ムーンドロップス恋愛小説コンテスト】
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《第一章》婚礼の輿から逃げ出した娘
第一話
第二話
第三話

《第二章》見知らぬ世界
第四話
第五話
第六話
第七話

《第三章》龍の根城
第八話
第九話
第十話

火龍の花嫁 > 《第一章》婚礼の輿から逃げ出した娘
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第一話
 その日下級役人が住んでいる古い屋敷に、美しい赤い布で囲われた華やかな輿がやって来た。揃いの青い衣装を身に着けた男四人が担いでいる輿は、婚礼用の輿である。

 今日はその屋敷の主である|宋 寿安《そう じゅあん》の娘・|三娘《さんじょう》が王の側室として嫁ぐ日だ。三娘は、|齢《よわい》二十五となる。この国の平均的な結婚適齢期は20代の初めだから、それを考えると彼女は行き遅れと称されても仕方がない年齢となっていた。

 |相《しょう》の国は大陸の東の果てにある小さな国だ。四方を高い山々で囲われているおかげで、建国以来近隣の国々から攻め込まれたことがない。国を囲む山々には|古《いにしえ》より徳の高い仙人たちが住むと言われている。だから民は皆一様にこう言う。山に籠る仙人たちが国を守っているのだと。その為人々は彼らを崇め奉っていた。

 そんな小さな国でも宋家の|三娘《さんじょう》といえば、誰しもが口をそろえて言う。可憐な姿は桃の花を思わせ、柔らかなその物腰は慈愛に満ちていると。だから皆気になっていた。誰が彼女を正妻として娶るかを。

 彼女が年ごろを迎える頃には、名だたる名家から正妻に迎え入れたいという申し出がひっきりなしに届いていたのだが、父親はそれを悉く断りつけたものだった。

 それは何も可愛い一人娘を嫁に出したくなかったからではない。当の本人が頑なにその話を拒んでいたからだった。だがさすがに王の命には逆らえなかったのだった。

 三娘は赤い婚礼衣装を身に着け、顔を俯かせていた。まだあどけなさを残してはいるものの、もう少し長ずれば傾国となり得る美貌を持つ娘である。憂いを帯びた|顔《かんばせ》は、彼女の支度を整えた使用人たちでさえ胸を痛めてしまうほどのものだった。

 王の側室と言えば望んでなれるものではない。どのような器量よしであろうが、美姫とうたわれようが、王が望まぬ限り側室にはなれないのだ。だから三娘のもとに側室として王のもとへ上がるよう命が下ったときは、周囲の人間たちは大いに喜んだ。

 だが当の本人は喜びもしないばかりか、さめざめと泣き崩れてしまい、周囲の人間たちはそれをどうしたものか苦慮する羽目になる。それまでずっと娘が縁談を断り続けている理由を知っている父親は、泣き崩れた娘の姿を見て、王命に逆らうことになろうともその話を断ろうとした。

 いかな側室の話とはいえ王命に逆らうことは不敬罪とみなされ、一族全て根絶やしにされることとなる。それを覚悟した父親はそれもやむなしと腹を決めたのだが、賢明な娘である。すぐにそのことを察し、側室に上がることを決めたのだ。

 幾らあれは夢だと思おうとしたけれど、ずっと忘れられなかった。
 幼い頃に突如目の前に現れた美丈夫から己の花嫁と告げられ、結納替わりの品を受け取ったはいいが、ついにその人は迎えに来てくれなかった。

 三娘が縁談を断り続けたのは、その男を待っていたからである。
 緋色の鎧を身に着けた火龍と名乗った男を。
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第二話
「|三娘《さんじょう》……」

 そう言って、控えの部屋にそっと忍び込むように入ってきたのは、文官用の礼服に身を包んだ父親だった。礼服の色は即ち位階を示している。父親が着ている礼服の色は深緑色で、これは六位のものが身に付ける色である。父親は婚礼が決まったときから塞ぎ込んでしまった娘の様子を窺いに来たのだろう。年老いた父親の呼びかけにも娘は何の反応も示さない。

 極上の絹でできた赤い婚礼衣装に身を包み、頭からすっぽりと薄い紗を被った三娘の姿は、はた目からみれば国一番の幸せ者と言えよう。だが彼女の表情を今にも泣きだしてしまいそうなものだった。

 黒目がちな瞳は涙ですっかり濡れていた。溢れそうになった涙を指で何度も拭ったのだろう。目元がすっかり赤くなっている。衣装と同じように鮮やかな紅が塗られているふっくらとした唇は、きゅっと引き結ばれていた。そして赤い衣を纏った肩がふるふると震えている。袖から覗く小さな手には金と銀の鎖でできた装飾具が飾られているのだが、その手はすっかり色あせてしまった古い袋を握りしめている。

 その姿を目にした父親は目を閉じた。幾ら家の為だとはいえ、可愛い娘に辛い決断をさせてしまうことには変わりはない。そのことに耐えきれなかったのだろう。そのような父親と娘の姿に側で控えていた使用人たちは、ついに耐えきれず声を押し殺して泣いていた。

 そんなとき部屋にもう一人誰かが入ってきた。扉を勢いよく開けたのは、濃い緋色の礼服を身に着けている男であった。そのものは父親の上官である。父親より若い上官は部下とその娘の異変にすぐに気付いたのだが、それに気づかぬふりを決め込んで事務的に言い放った。

「|寿安《じゅあん》。そろそろ娘御を輿へ」

 ついにそのときが来た。三娘は俯かせていた顔を上げ、目を大きく見開いた。握りしめていた袋をより強く握りしめ、唇をかみ締める。大きな瞳から涙が溢れ、頬を伝って流れ落ちた。

「さあ! 迎えに来た者たちが痺れを切らしておるのだぞ!」

 いつまでも動こうとしない親子に痺れを切らしたのか、いら立たしげにそう言って上官は部下をにらみ付けた。怒気をはらんだその声にハッとなった三娘はとっさに椅子から立ち上がり、涙を拭おうともせずに父親と上官の側へ近づいた。

「三娘……」
「お父さま……」

 三娘は笑顔を無理に作って赤い布越しに父親を見上げた。すると思いつめた表情を浮かべている父親の目に、涙が滲んでいることに娘は気が付いた。それによく見れば、がっしりとしていた体つきが一回り小さくなった気がする。

 王の使者がやって来た日から、既に|三月《みつき》が過ぎていた。それから今日まで三娘は自室で塞ぎこんでいたから、父親の姿をはっきり目にしたのは実に三ヶ月ぶりとなる。その間父親もまた苦悩していたに違いない。それを察した三娘は唇を震わせながら、父親の上官に近付いた。そしてはっきりとした口ぶりで告げる。

「お待たせして申し訳ございません。今すぐ参りますゆえお許しを」

 顔をこわ張らせながら三娘が告げる。すると上官はそれ以降何も話さなかった。
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第三話
 控え室を出た三娘は長い|裳裾《もすそ》の両端を持ち上げて、早足で家の外に出た。すると目の前には赤い布で覆われた豪奢な輿が台に乗せられていて、そこに座す花嫁を待ちわびていた。そして輿の周りには担ぎ手となる男たちが無表情で立っている。彼らの後ろには、桃花の如しとうたわれ娘の花嫁姿を、どうにかしてでもひと目見ようと大勢の民が押し寄せていた。

 それを目の当たりにした三娘は自分自身の輿入れなのに、どこか他人事のように思えたものだった。それはもしかしたら、望まぬ輿入れだからだろう。三娘はそれまでずっと握りしめていた手を開き、古ぼけた袋を見下ろした。その袋の中には幼い頃に渡されたものが入っている。でもそれを結納替わりだとほほ笑みながら教えてくれた人は、ついに迎えに来なかった。

 あれからもう二十年のときが過ぎた。幼い頃は無邪気にそれを信じていたし、ずっとずっと彼が迎えに来る日を待っていた。十八歳を迎えた頃から友人たちが次々と花嫁として嫁ぐ姿を目にするたびに、彼女たちと同じように誰からも祝福されて嫁ぐことを夢見ていた。

 二十歳を過ぎたころからは、待つ時間が長く感じてしまい、いっそあれは|夢幻《ゆめまぼろし》だと言い聞かせ、父親の元に届けられる縁談を受けようと考えたこともある。でもあれは幻ではない。その証拠がこの手にある以上あれは紛れもない現実の出来事なのだから、もう少し待とうと思い続けたものだった。

 三娘は心の中で葛藤していた。色あせた赤い袋を握りしめながら。袋の中に詰められた小さな玉の感触が手のひらに伝ってくる。そう言えばこの中身は確か――――。

『この赤い玉は我の血でできている。何事かあったならそれを放り投げろ。さすれば必ず我の元へ連れて来てくれる』

 三娘は火龍と名乗る武人が教えてくれた言葉を、はっきりと思い出した。そのとき一縷の望みの光が見えた気がした。だがもしも彼が教えてくれた通りになったならば、その後父親はどうなってしまうのだろう。三娘はそれを想像したとき、その場で頽れてしまいそうになっていた。

 王命に背くことは重罪だ。しかも側室となることを決めたのは紛れもなく自分自身で、それなのに逃げ出したとあらば残った家族は全員反逆罪に問われることになる。反逆罪は一番重い罪で、間違いなく宋家一族全員処刑されてしまうに違いない。三娘はそれが怖かった。

 それに仮に逃げ出したとしても、本当にこの玉で彼の元へ行けるかどうか分からない。そんな不確かなものに賭けても、失敗に終わったら身も蓋もない。だから三娘は心を決めた。王の側室となることを。

 しかし予期せぬことが起きた。三娘が裾を持ち上げ輿に乗ろうとしたときだった。何かに突き動かされるように体が動き、そこから逃げ出していた。走っている間に美しい刺しゅうが施された|沓《くつ》が脱げ、頭から被っていた赤い布も落ちていた。彼女の目から涙が溢れる。纏め上げられた髪が乱れ、かんざしが次々と落ちていく。荒い息を吐きながら、彼女が駆け込んだのは、火龍と約束を交わした部屋だった。

 三娘は扉を後ろ手で閉めたあと、握りしめていた袋の中から赤い玉を取り出した。そしてそれを勢いよく放り投げると、放たれた紅玉から赤い光が漏れ出した。そして地面に落ちた瞬間玉は割れてしまい、そこから炎のような揺らめきを放つ光が放たれた。その小さな光はやがて炎となって、そこにいた三娘の全身を包み込む。そして轟音とともに一気に燃え盛り、彼女の姿は炎にかき消されてしまった。
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第四話
 その男はある日突然現れた。

 三娘の母親がまだ生きていた頃の話である。彼女は幼い頃から物語が好きな少女で、その日も母親とともに古くから伝わる言い伝えが書かれた本を読んでいた。

 |相《しょう》の国をぐるりと取り囲む山々の一つに、龍が守る山があると古くから言い伝えられている。その龍は山々に住んでいる仙人や仙女を護るだけでなく、この国をも護っていると言われていた。

 その龍が守る山の麓にはとても美しい湖があって、ある日そこへ人間の娘がやって来た。龍はその娘をひと目見て恋に落ちたという。しかしこのままの姿で彼女に近づけば、きっと怖がられてしまうだろう。だから龍は、遠くから彼女の姿を見るだけにとどめていた。

 湖のほとりで薬草を摘む娘の姿を見るたびに、龍は切ない思いに身を焦がしていた。この姿でなければ娘に会うことができる。このかぎ爪がなければ娘に触れることができる。そう思い続けているうちに、誰かのもとへ嫁ぐことが決まったのだろう。帯に美しい玉の飾りをつけた姿でやってくる娘の姿を、龍は見てしまう。

 相の国では結婚が決まった娘は、相手から贈られた玉の飾りを付けることになっている。その姿を見た龍は深く嘆き悲しんだ。誰かのものになるからと言って、娘への思いをすぐに捨て去ることなどできるはずもなく。結局その娘が婚礼衣装に身を包み、嬉しそうな顔で嫁いでいくのをそっと見送っていたという。そのとき龍は涙をこぼした。その涙はすぐさま美しい真珠となったと言われている。だから相の国では真珠を龍の涙と呼んでいた。

 幼い三娘はその話を母親から聞かせられ、ぽろぽろと涙をこぼして泣いていた。聡明な娘は叶わぬ思いに身を焦がしながらも、愛しい娘が嫁ぐのを見送ることしかできなかった龍に哀れみを感じ涙を流していたのだった。

 母親は泣いてしまった娘の気を紛らわせるために、甘いお菓子を持ってこようと部屋を後にした。その直後どこから現れたのか、三娘の目の前に緋色の鎧を身に着けた男が現れた。

 男はとても美しかった。神々しいまでに美しい男を見たとき、三娘は思わず泣きやんだ。泣き腫らした顔で男を見上げると、彼はうっとりするほど美麗な笑みを浮かべ彼女に跪いた。

『ようやく見つけた、我が花嫁よ。そなたが長じた暁には我が一族総出で迎えに来る』

 白磁の如く白い肌と、闇夜の如し黒い髪。そしてまっすぐ向けられた瞳の色は深い深い赤だった。三娘はこの世のものとは思えぬ美貌を誇る男に、ただ頷くことしかできなかった。すると彼は結婚の約束の品だと言って、赤い袋を手渡した。その中身を確かめてみると、彼の瞳と同じ色の玉が幾つか入っていた。

『この赤い玉は我の血でできている。何事かあったならそれを放り投げろ。さすれば必ず我の元へ連れて来てくれる』

 そう言った後その男は自らの名を三娘に告げた。炎をつかさどる龍の一族の長であり、火龍と呼ばれていることを。そしてその直後、彼は三娘の目の前から煙の如く姿を消したのだった。



 三娘は夢を見ていた。幼き頃突然目の前に現れた火龍の夢を。彼が姿を消した直後部屋に戻った母親にその話をしたところ、母親は戸惑っていた。だが火龍と言っていた男がくれた袋を見せると、それまで不安げだった母親の表情が、みるみるうちに驚いた顔になっていたのを覚えている。

「もしかしたらあの山に住む龍かもしれないわね」と母親は話していた。三娘の家の側にそびえ立つ山こそ、古より龍が住まう山だと言われている。母親はその山を指差して娘に教えてくれたのだった。

 それから数年ののちにその母親は、病で帰らぬ人となる。幼い三娘は母親が恋しくて毎日泣き続けたものだった。そのときの記憶が蘇ってきて、三娘は涙を流しながら瞼を開く。

 嗅ぎなれない匂いには気が付いていたけれど、何の匂いなのか分からない。それに頬や手のひらから伝う感触は温かく滑らかなものだった。はて、ここはどこだろうと三娘は記憶を手繰り寄せる。

 婚礼の輿から逃げ出して母親の部屋に入った後、贈られた玉を放ったら炎のような光に全身が包まれた。その光に包まれたとき、嗅いだことがない香りが漂ってきて、そのまま吸い込まれるように意識を失っていた。それを思い出したとき、三娘はあることに気付く。

「お父さま!」

 三娘は勢いよく体を起こした。するとついた手のひらから柔らかな感触が伝ってくる。それだけじゃない。視線を感じ恐る恐るそちらを見ると、見知らぬ男に見つめられていた。男の肌の色は褐色で、寝乱れた長い髪は銀色だった。双眸の色は異なっていて、銀と金の瞳がまっすぐ向けられている。凛々しい顔立ちの男は、夜着のようなゆったりとした衣を身に着けていた。はだけた胸元からは男の逞しい胸が覗いていて、三娘はそこに手をついている。

 彼の体に寝そべっていた三娘はというと、生まれたままの姿になっていたのだが、彼女はそれに気づいていない。突然の出来事に言葉を失い、彼女は彼としばらく見つめ合っていた。すると男が、気づかわしげに彼女の名を口にする。

「三娘……」

 男の低い声にハッと我に返った三娘は、彼が何者であるか分からぬのに、勢いよく身を乗り出して青ざめた顔で叫んでいた。

「お願い! お父さまを助けて!」
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第五話
「では、その赤い玉を放り投げたら、炎に包まれたということで間違いないのだな?」

 男から尋ねられ、三娘は沈んだ顔を俯かせたまま小さく頷いた。彼女は背もたれのない長椅子の端に居心地悪そうに座っている。その反対の端には男がいて、不機嫌そうな顔で彼女を睨んでいた。

 彼が不機嫌なのには理由がある。それは彼女が父親を助けてほしいと頼み込んだ直後のことだ。裸の三娘が迫ってきたとき、勢い余ってバランスを崩してしまい、男の上から落ちそうになった。男がすぐさま彼女の体を抱きかかえたおかげで事なきを得たのだが、そのとき彼女は気付いてしまったのだ。全裸であることを。

 三娘はとっさに叫んだ。ものすごい大声で。それに男が驚いてしまったらしく、慌てて彼女の口を塞いだのだが、その方法がまずかった。三娘の口を己の口で塞いだのである。つまりは|接吻《キス》だ。

 生まれて初めての接吻に驚いてしまい、彼女は目を大きくさせたまま体を硬直させた。男は名残惜しげにゆっくり唇を離したあと、椅子の下に脱げ捨てたままになっていた黒い長衣を彼女の体に掛けた。

 それから数分三娘は、微動だにしなかった。当たり前だ。接吻とは男女の交わりに極めて近い行為だ。もちろん三娘は接吻をしたことがない。だから驚きのあまり茫然となっているのだが、男はそれを知る由もない。

 男は着ていた衣を着直して、椅子の端に腰掛けた後ゆっくりと三娘に問いかけた。

「一体、何事が起きたのだ」

 その声にハッと我に返った三娘は、婚礼の輿から逃げたときからの出来事を説明し始めたのだった。



 三娘は気が気でなかった。今こうしている間にも、父親は処刑されているかもしれない。それを考えると気ばかりはやってしまい、いてもたってもいられなかった。だからここがどこで、男が何者であるかなどこの時どうでもよかった。とにかく一刻も早く父親を助けなければ。三娘はそれしか考えていない。だが彼女の焦りに男は気付いていないらしく、平然としたまま問いかけてくる。

「その玉は誰から貰ったのか」
「その玉をもらったのはいつの頃か」
「その玉を贈った相手の外観はどのようなものだったか」

 男から尋ねられたのは、全てあの玉のことだった。それを問われるたび三娘は、はやる気持ちを抑えながらも記憶を手繰りよせ男に説明した。ようやく全ての問いかけに答え終えると、尋ねた男は押し黙ってしまう。何かを考え込んでいる男の姿を眺めながら、彼女はますます焦ってしまう。

 早く。とにかく一刻も早く父親を助けに行かなければ。さもなくば殺されてしまう。それを考えると泣き叫んでしまいそうだった。その衝動を抑えながらも沈黙に耐えていたのだが、その沈黙と不安に押しつぶされてしまいそうだった。三娘は悲痛な面持ちで、考え込んでいる男に縋るようなまなざしを向けていた。そして暫く経った頃、ようやく男がため息交じりに呟いた。

「だから我が呼ばれたのだろうな……」
「呼ばれた?」

 すると男は顔をハッとさせ、すぐさま三娘から顔を逸らした。

「つまりその玉が我を呼んだのだ」
「呼んだ?」
「だが、その玉の持ち主はもうおらぬ。だからそなたは人界と仙界のはざまに居たのだ。そして玉に残っていた念が我を呼んだのだ」
「人界? 仙界? はざま?」

 聞き慣れない言葉を聞かされた三娘は、ただその言葉を独り言のようにつぶやくのみ。すると男は戸惑う三娘を眺めながら、ため息交じりに話し始めた。

「まずはそなたの父御を助けに行かねばの。話はそれからだ」

 男はしっとりとした光沢を放つ黒い長衣に着替えたあと、三娘を着替えさせるべく人を呼び、部屋を後にした。
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第六話
 男によって呼ばれた女たちにより、三娘は桃色の着物に着替えさせられた。

 その後広い部屋に通されたのだが、三娘はその部屋に入るなり、ぽかんと口を開けたまま、天井を仰いでしまう。その部屋は天井がものすごく高かった。円い天井からは、さんさんと眩しい日差しが差し込まれている。三娘は差し込む光が眩しくて、目を眇めながら天井を見上げていた。

 だが光がゆらゆらと揺れていることに三娘は気付いた。その|様《さま》は、湖面で揺れている光を思わせた。三娘が揺らめく光を見ていると、急に声を掛けられた。声がした方を見ると、目の前で男が真面目な顔で振り返り、手を差し出している。恐る恐る男に近づいてみると、彼は池の前に立っていた。

 いやそれは池ではない。とても大きな|水盆《すいぼん》だった。|青銅《せいどう》でできた八方形の器いっぱいに、清らかな水が満々とたたえられている。それを見るなり、三娘は占いで用いられているものを思い出した。

 相の国では春の訪れの頃になると、その年の実りを占うことになっていた。その占いで水盆を用いているのだが、目の前にあるものはそれよりもかなり大きいものだった。三娘が水盆を凝視していると、彼女の手を握りしめたまま、男がその水盆にあった|階《きざはし》に上がろうとした。三娘は彼が何をしようとしているのか分からず、その不安から足を止めてしまう。

 それに気付いたのか、男が|階《きざはし》を一段上った姿で振り向いた。三娘は彼を見上げたまま、不安げな表情を浮かべている。その姿から何かを察したのか、男は諭すような口ぶりで|階《きざはし》に上がるよう彼女を促した。

「何も怖がらずともよい。|早《はよ》う」

 普通に考えればその水盆に足を踏み入れたとて、ただ足元が濡れるだけ。それを分かっているのに、なぜその中に入るよう促されるのか分からない。だが目の前にいる男を見ると、当たり前のようにその中にいる。足元を見ると、長衣の裾がしっかりと水に浸かっていた。三娘はおどおどとしながら問いかける。

「あの、でも。これって水盆、ですよね?」

 戸惑いながらも尋ねると、男はそれに応えようともせず三娘の手を強引に引き寄せた。すると彼女は前のめりになりながら、勢いよく水盤に足を踏み入れてしまう。履いていた白い|沓《くつ》にすぐさま水が滲んだ。足に水の冷たさを感じたそのとき、予期せぬことが起きた。

 水盆に足を踏み入れた瞬間周りの景色がすっと消えたかと思ったら、新しい景色が広がっていた。一瞬にして景色が変わったことに、三娘は驚いた。

 彼女は目を大きくさせたまま、その場に立ち尽くしてしまう。彼女の目に映っているもの、それは朱塗りの壁に描かれた西の聖獣・白虎の姿だった。今にも襲い掛かりそうな程迫力のある白い虎の絵を、三娘はぱちぱちと瞬きを繰り返しながら眺めている。その隣には黒い長衣を羽織った男が立っていて、さして気にもせず辺りを窺っていた。

「三娘よ。王のもとへ行く前に聞きたいことがある」

 男が隣にいる三娘に尋ねるが、問われた本人は茫然としたままだった。さもありなん。この数時間のうちに起きた出来事は、すべて彼女の理解を超えたものばかり。だから彼女は混乱しているのだが、男はそれを把握できていないらしい。問いかけに返事もせずにぼうっとしたままの三娘を、男は怪訝そうな顔で眺めいていた。

 視線を感じ隣に立っている男の方へ、三娘は恐る恐る顔を向けた。すると訝しげな表情を浮かべ見下ろしている。彼女の不安げな表情から何かを察したらしく、男はわずかに眉をひそめて彼女に問うた。

「三娘、いかがした?」
「あ、あの……」

 男に問われたがいいが、何から尋ねていいものか悩んでしまう。それだけたくさん聞きたいことがあるのは事実ではあるけれど、それよりも今は父親をどうにかしなければ。三娘は意を決したような表情で、男に問いかけた。

「ここは、どこです?」
「ここは相国の王宮の奥にある祭事を行う部屋だ」
「祭事?」
「代々の国主が神々に祈りをささげる部屋と言えば分かるか?」

 そう言えば聞いたことがある。王宮の一番奥まった場所には、王しか立ち入りを許されていない部屋があることを。恐らくここがその部屋なのだろう。そのことに気が付いた三娘は、必死の形相で男に詰め寄った。

「こっ、ここは王以外立ち入りを許されていない部屋です!」

 三娘は勢いよく言い放った。しかし男は平然としたまま、落ち着いた声で話し始める。

「だが我は許されている。とはいえ我も初めて来たが。それより三娘、|早《はよ》う」
「ふえ?」
「そなたの父御を助ける前に、確かめておきたいことがある」

 真剣な表情を浮かべる男に告げられ、三娘は戸惑いながらも彼の次の言葉を待つことにした。
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第七話
「確かこの奥が王の私室だったと思います」

 三娘は廊下の先を指差した。たくさんの石が詰まれてできた廊下の先には、彼女が男に教えた通り王と王妃の私室がある。

 三娘は父親に請われ、短い期間だが女官として出仕したことがあり、王と王妃の身の回りの世話を受け持っていた。そのとき確かこの回廊を渡り、王と王妃の私室に向かったはずだ。三娘はそのときの記憶を手繰り寄せ、思い出に残っている光景と目の前の光景を見比べてみる。うん、間違いない。廊下に敷き詰められている織物の色を見たとき、ようやくはっきりと確信できた。

 廊下に足を進ませてみると、両側にある窓からは夕暮れの空が広がっていた。侘しささえ感じさせる景色が、三娘の不安を助長させていく。

 その不安は先ほど男から告げられた言葉のせいではない。それよりも三娘は、父親が無事でいるかどうか気がかりだった。その不安に押しつぶされかけたとき、いきなり手を握られた。青ざめた顔をハッとさせて、三娘がその手の主を見上げると、男の顔が緊張のせいかこわ張っている。

「行くぞ」
「はっ、はい!」

 ぐいと強い力で手を引かれ、三娘は男とともに王と王妃の私室へと歩き出した。



 廊下の先にある重い木の扉を開いた瞬間懐かしい光景が広がっていた。数年前までそこで働いていた思い出が、三娘の頭の中に浮かぶ。

 あたりはしんと静まり返っていて、ふだんなら控えているはずの武官や女官たちの気配がない。それに違和感を抱きつつも、三娘は男とともに王がいる部屋を目指す。不安と焦りがないまぜになって心を覆い尽くそうとしている。はやる思いに急かされるように、知らず早足になっていた。廊下を進むたび、長衣の裾と敷物がこすれ合う音がする。

 廊下を進んでいると、急に強い力で手を握られた。三娘はそれに驚いてしまい、思わず男を見上げると、端正な横顔はまっすぐ前を向いていた。がっしりとした肩には、垂れたままになっている長い銀髪が僅かに掛かっていて、歩くたび風に靡いている。

「案ずるな。必ず助ける」

 形の良い唇がキッと引き結ばされたのを、三娘は目にしてしまう。その言葉が嘘偽りでないことを実感させられ、それに応えるように彼女は手を握り返した。

 そうして歩いているうちに人の気配がして、二人は手を固く繋ぎながらそちらへと向かう。するとその先には部屋があり、そこで王と王妃が寛いでいた。彼らは突然現れた三娘と男の姿に驚いたようで、茫然としたまま、長椅子に腰掛け石のように体を硬直させている。

「王よ。そなたこの娘を側室にと望んだようだが、それはまことか?」

 男が落ち着いた声で、茫然となっている王に問う。王は目を大きくさせたままこくこくと頷いた。

「この娘は、先代の火龍と結婚の約束を交わしておった娘じゃ。そなたそのことを知っておったか?」

 男が少しだけ声音を重くさせそう問うと、王は顔を一瞬のうちに青ざめさせた。そして勢いよく椅子から立ち上がっただけでなく、その場に突っ伏しひれ伏した。

「いっ、いえ! もしもそのことを知っておったなら、決して側室にはっ……」

 王は下げていた頭を僅かに上げた。その姿はふだんの威厳に満ちたものではなくなっている。その|様《さま》を目の当たりにしてしまい、三娘は驚きの余り言葉を失った。

「ならばこの話はもうよい。して、この娘の父御はいずこにおる」

 男が険しいまなざしを向けると、王は怯えた表情で声を震わせながらそれに応えた。

「三娘さまの父御は、城の地下におりまする。ですがすぐにでもそこを出ていただき、御自宅にお戻しいたしまする」
「そうか、では頼むぞ。もしも約束を違えたならば、そのときはこの国が滅びると思え」

 男がひときわ声を低くさせ告げると、王は体をぶるぶる震わせながらひれ伏した。その姿を目にしたあと、男は満足げな笑みをうっすらと浮かべて、隣にいる三娘を見下ろした。

「三娘よ。これで良いな」

 三娘は顔をハッとさせて、男を見上げた。すると色の異なる双眸が向けられていた。それを見たとき男と交わした約束が脳裏を掠め、三娘はわずかに表情を曇らせる。

 幾ら幼い頃とはいえ、神仙の一人である火龍と結婚の約束を交わしているならば、王の側室となることは許されないことだった。だから此度の側室の件はなかったことになるし、三娘の父親は罪に問われる必要がない。

 だが約束を交わした先代の火龍はとうに亡くなっていて、本来ならばその時点で約束は無効になる。そうなれば王の側室に望まれたら受けねばならないし、それを蹴ってしまった以上父親は罪に問われてしまう。

『仙界に住まうものが人界のことに関わることは許されておらぬ』

 だから父親を救うためには、それなりの理由が必要だと男から切り出されたとき、三娘は決断を迫られたのだった。そして彼女が選んだもの、それは。父親を救うため、今は亡き先代の火龍の花嫁として、仙界で生きるというものだった。
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第八話
 桃の花が咲き乱れる美しい庭先で、三娘は岩に腰掛けていた。その岩には窪みがあって、澄んだ水が溜まっている。彼女は青空のような水色の上衣を羽織った姿でその水たまりを眺めながら、嬉しそうな笑みを浮かべていた。その水面には三娘の父親の姿が映し出されている。見ず知らずの男と王城に向かった翌日から、彼女は日がな一日その水盆ばかり眺めていた。

 仙界に暮らすことを決めたとて、右も左も分からぬ場所だ。大きな石でできた城の中に部屋を与えられたとて、何をしていいのか分からない。それに何をするにも、どこに行くにも必ず侍女がついてくる。今までそのような暮らしをしたことがない三娘にとって、それは窮屈以外何物でもない。現在の彼女にとって、目下の楽しみは、父親の姿を好きなだけ眺めることだった。

 三娘がいる庭は、彼女の部屋に面している。その部屋の窓際では、揃いの衣装に身を包んだ侍女たちが控えていた。彼女たちは皆一様に、若草色の上着に濃緑の|裳《スカート》を身に着けていて、高い位置で髪を留めている。そして彼女たちの傍らには、みずみずしい|水菓子《くだもの》が乗せられた漆塗りの盆が置かれている。

 うららかな日差しが庭に降り注ぎ、春風を思わせる温かな風がそよそよと吹いている。庭のいたるところに植えられた木々の枝には、どこからやってきたのか鳥たちが羽を休めていた。風に乗って鳥たちの可愛らしい|囀《さえず》りがかすかに聞こえている。その中で三娘は、父親の姿が映っている水面だけを一心に見つめていた。

 そのとき強い風が吹いた。その風は木々の枝葉や庭に咲く花々を揺らす。三娘は急な突風で乱れた黒髪を手で押さえつつ、瞼をぎゅっと閉じた。彼女が羽織っていた水色の上掛けが、風でふわりと舞い上がり、その下に着ていた若草色の衣の裾がわずかにめくれ上がる。

 桃園のような庭を一瞬で吹き抜けた風が止み、ゆっくりと瞼を開いてみると、水たまりに映っていた父親の姿は消えていた。三娘は悲しげな瞳で、揺れる水面を見つめている。

 水盆替わりの水たまりは、一度でも波立ってしまえば、暫くの間何も映そうとしない。それが分かっているので、三娘は物憂げな表情で顔を俯かせた。

 仙界で暮らすことを選んだのは、紛れもなく自分自身だ。そのことを自らに知らしめるように、三娘は俯かせていた顔を上げ振り返った。

 高い城壁の向こうには、|蓬莱山《ほうらいさん》と呼ばれている高い山が|聳《そび》え立っていて、頂上付近は紫色の雲で覆われている。その景色を目にするたび、三娘は思い知らされた。もう二度と父親のもとへと帰れないことを。そして結婚の約束を交わした相手と会えないことも。

 その相手である先代の火龍は既に亡く、今は弟が火龍と呼ばれているらしい。その男こそ褐色の肌に銀色の髪を持つ男で、三娘の父親を救った男だった。
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第九話
「どうなさるおつもりじゃ。火龍殿」

 しゃがれた声が背後から聞こえてきて、振り返ると長い|白髭《しろひげ》を蓄えた老人が立っていた。藍色の上衣の裾を引きずらせ、背の低い老人が柳の木の側に立っている火龍へと近づいてくる。白髪を高い位置で結わえた老人は笑みこそ浮かべてはいるが、火龍を見る目は鋭い光を放っていた。

 老人は火龍が幼き頃より、彼の面倒を見てきた男である。そして炎龍の一族の中で最高齢を誇っており、皆からは老師と呼ばれていた。老師から尋ねられ、火龍はわずかに顔を顰めさせる。

「どう、とは?」

 火龍に聞き返されたが、老師はそれに何も答えようともせずに、彼の隣で柳の枝から見える光景を眺め始めた。老師とともにそちらへ目をやると、長く垂れた枝の間から、水色の衣を身に着けた女の姿が見えた。三娘である。

 三娘は腰掛けていた岩に突っ伏してしまい、小さな体をふるふると震わせていた。先ほどの突風のせいで、水盆が用をなさなくなってしまったからだろう。泣き出してしまった彼女のもとへ、侍女たちがわらわらと集まってくる。それを眺めていると、侍女たちが彼女の体を支えながら、建物へと向かっていた。火龍とともにその姿を見ていた老師が、表情を曇らせながら咎めるような目で火龍をにらみ上げる。

「三娘さまじゃ。あのお方をどうなさるつもりじゃと聞いておる」

 厳しい口調で問われたが、火龍はそれを無視しその場から立ち去ろうとした。だがそれをやすやすと許す老師ではない。呆れたような表情で火龍の背中を眺めながら強い口調で問いかけた。

「あのままにさせておくつもりか? 答えよ、|甚《じん》」

 真名を呼ばれてしまい、火龍は立ち止まった。真名を口にできるものは目上の者に限られているし、特に火龍となってからその名を口にする者はいなかった。老師はそれを許されている一人ではあるけれど、それを口にするときはかなり感情的になっているときだ。それが分かっているので、火龍は心の中でため息を漏らしながら老師へと振り返る。

「ではどうしろと?」

 そう聞き返すが、老師は何も答えてくれなかった。

「花嫁と定めし先代がおらぬ今、そのまま人界にいてもらった方がよかったのじゃ。なぜ、そうせなんだ」
「先代が花嫁と定めたばかりに、あの娘は迎えをずっと待っておったのだぞ? その一途さに応えてやらねばなるまい。迎えに行けなかった事情がどのようであろうともだ」

 火龍は険しい顔でそう言い放った。三娘を迎えに行けなかった事情に、思い当たるものがあるのだろう。老師はそれ以上何も言わずに、柳の枝の間から三娘が腰掛けていた岩を眺めていた。
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第十話
「三娘さま、この薄紅のものをお召しくださいませ」

 侍女が差し出した薄物の上掛けを、三娘の側に控えていた別の侍女たちが手に取り彼女の華奢な肩に掛ける。
 柔らかな布が白い肌に重ねられた。すると侍女たちが一斉に顔をほころばせ、甲高い声を上げる。

「やはり|濃紅《こいくれない》の着物の上掛けは薄紅がよろしいかと。かわいらしさが引き立ちまする」

 薄紅の上掛けを差し出した侍女が嬉しそうな顔を見せた。だが別な侍女が三娘の足元に置いていた紫色の薄物を手に取り、しょんぼりとした顔をする。

「襟に桃の花が縫い取られたこちらの方が可愛らしいと思うのですが……」
「そのお色なら、お着物のお色をもう少し淡い色にするか、同じ紫の方がよろしいかと」
「でも、この桃の花のお色の着物なら……」
「そうね、ではそのお色の着物を探しましょう」

 そう言って侍女たちはいそいそとその場を立ち去っていった。三娘はその様子をぼんやりとしながら見つめている。彼女にとって着物の色などどうでもよかった。それなのに侍女たちは盛り上がっている。侍女たちが色めき立っているのにはちゃんとした理由があるのだが、それは三娘は知る由もない。

 三娘は色とりどりの衣装がひしめく部屋に立ち尽くしたまま、部屋を見渡した。部屋に揃え置かれた調度品はどれもみな豪華な装飾が施されている。贅を尽くした家具たちに囲まれていると、自身の居場所ではないような気がしてどうにも落ち着かなかった。

 幾ら国の役人とはいえ、三娘の実家である宗家は経済的にさほど恵まれた家ではない。必要最低限の家具しか揃っていなかったけれど、それらは皆とても頑丈で実用的なものだった。家だってあちこち痛んでいたけれど、雨露を凌げる分には申し分がない。それになんといっても心優しい父親とともに暮らした毎日は、とても満ち足りたものだった。

 だが今は豪奢な部屋で、芸術品とも思える調度品に囲まれて暮らしている。時間になると侍女が運んできてくれる食事も、国にいたときには口にしたことがない贅沢なものばかりだった。それに辺り一面に広げられている衣装だってそれはそれは見事なもので、まるでこの世の花々をかき集めたようになっている。だが三娘の心は重く沈んでいた。

 |仙界《ここ》へ来てから、もう何日経ったか分からない。朝目覚めたときから侍女たちに囲まれているけれど、三娘は孤独を感じずにはいられなかった。自らが決めたこととはいえ、国からも父親からも離れた場所で生きていかなければならない事実は、どんなに豊かで恵まれた場所でさえもつまらないものに変えてしまうものらしい。

 水盆を見ては涙ぐみ、それ以降はずっとふさぎ込んでしまう三娘を、侍女たちはどうにかしようとしているのだが、かなり厳しい状況だった。

「三娘さま。お待たせしました」

 そう言って部屋にやってきた侍女たちは、三娘に似合いそうな華やかな着物を携えている。だが三娘はその着物を一瞥もせずに物憂げな表情を浮かべていた。



「そう言えば三娘さま。明日、こちらに|湖青《こせい》さまがいらっしゃるようです」

 初めて聞く名前に、三娘は僅かに首を傾げて見せた。侍女たちは広げた着物を片付けながら、彼女に話しかける。

「湖青さまは火龍さまのすぐ下の妹姫で、とても明るいお方ですの」
「そう、ですか」
「ええ、とても快活な方で、火龍さまと同じくらい武芸に秀でた方ですの。ね、みんな」

 侍女が誇らしげに話しているのを、三娘はぼんやりと聞いていた。すると違う侍女が付け加えるように話し始める。

「でも火龍さまよりも社交的な方ですし、きっといいお話し相手になると思いますわ。火龍さまは根っからの武人ゆえ女性の扱いには長けておらぬお方ですもの、ねえ」

 そう言いながら侍女たちはくすくすと笑い始めた。このときふと先代の火龍の姿が頭に浮かび、三娘は一番側にいた侍女におずおずと問いかけた。

「あの、そう言えば、先代の火龍さまはいつお亡くなりに?」

 するとそれまで笑みを浮かべていた侍女たちの顔が、みるみるうちに陰りだした。

「三娘さま。あの、実は申し上げにくいことなのですが、ここでは先代様のお話は禁じられておりまするゆえ、御容赦を……」

 急に顔を曇らせながら、言いにくそうにしている侍女の姿に、三娘は疑念を感じずにはいられなかった。
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